「三方一両損」という視点
毎月発行している広報しきに連載中の市長コラム「以心伝心」に掲載された内容を掲載しています。
平成29年6月号掲載分
「三方一両損」という視点
皆さん、こんにちは。
5月6月は田植えのシーズン。先日、公務の途中で荒川の堤外を通りかかりました。なみなみと水を湛(たた)えた水田では、農家の皆さんが忙しそうに田植えの準備を進めていました。その光景を眺めていて、ふと、頭の中に「我田引水」という言葉が浮かびました。他人のことを考えず、自分に好都合なように取りはからうこと・・・。時に人間は、我田引水になりがちですが、一人ひとりが「自分に都合良ければ」という考えでは、よいまちづくりはできません。
一方で、「三方一両損」という言葉があります。古典落語の中に登場する一節で、ある男が町で3両を落とし、別の男が拾って届けた。しかし落とした男は「落とした時点で俺の金じゃない、お前に全部やる」言い張る一方、届けた男は「金をもらうために届けたんじゃない、全額お前に渡す」と返し、喧嘩(けんか)となってしまいます。奉行所の大岡越前はこの3両を一旦預かった後、自分の懐から1両を足して2人に2両ずつ渡し、「拾った男は黙っていれば3両もらえるところを2両しかもらえず、落とした男は本来の手持ちより1両少ない2両が残り、自分も1両失った。これで三方一両損である」と裁き、一方が金を受け取って得することを良しとしなかった2人にとって、実に納得のいく答えとなったというお話です。
一人ひとりのニーズが多様化している時代のまちづくりの中で、誰もが納得する答えを導き出すことは大変難しいことです。
早いもので、私が市長に就任してから4年が経過しようとしています。これまでも、志木市の将来を見据えて、子育て施策の拡充や公共施設の集約、館保育園の民営化など、その方向性を決めてきました。しかしながら、これからの志木市のまちづくりを考える上で、課題はまだまだ山積みであり、時に、難しい決断もしなくてはなりません。
幾多の難局を乗り越えていくには、お互いを思いやりながら譲り合い、歩み寄る「三方一両損」の視点がとても大切です。一人ひとりが「我」だけでなく「三方」を考える・・・そんな「市民力」が、将来の志木市を持続可能なまちへと力強く歩ませる原動力になると、のどかな志木市の田園風景を見ながら、確信したひとときでした。